昭和43年08月18日 月次祭



 信心は自分でこれが本当だと思わせて頂くことを、それに本気で取り組んで、本気でそれに徹していくことだと思う。そして、そこから生まれてくるところの信仰体験ね。わが心の中に頂かせてもらう喜びの心、安らぎの心と。と言う様なものが答えが出て来るならば、私はそれでよいと思う。誰の真似をしなければならんと言う事はない。問題はそこなんだね。信心とはこれが本当だと分からして頂いたことをね、それを本気でそれに取り組ましてもらう。それに徹してみる。
 そこから喜びが、又はおかげが次々と頂けていくと言うならね、私はそれでいい。それが信心だとこう思うね。いよいよ信じる心はいやがうえにも頂けて来る事だろうね。また信心が成長して参りますと、そのことがもとになって信心が信心を、より本当なことを教えてくれることも絶対である。けれどもこれが本当だと思い込んで、そこには信心の喜びもないね、豊かな心も和らぎ賀びの心も頂けないとするなら、それはもう信心ではないと思うて、次の信心を求めていかなければいけんと思うね。
 今日はそこのところまでを皆さんが信心を頂いておられるとして、いつも頂く信心辛抱と言う事について、お話を聞いて頂きたいと思うね。信心辛抱さえしておれば物事整わんことはない、成就しないことはない。四神様のお言葉をね、自分の命として、久留米の初代は布教にあたられたね。いわゆる信心辛抱であるね。この信心辛抱というのがねその信心、今日は今私が申しましたところの信心頂いてからの、辛抱でなからなければ信心辛抱ではない。有り難くもない。おかげの体験もないね。
 心は喜びにも、または安らぎにもなっていないで、只もう何十年辛抱をしておるといったような信心では、もう物事整わんことないと言う様な成就のおかげになっていかない。そこんところを確かめていかなければならんと思うのですね。いわゆる信心辛抱というところの、いわゆる信心と言う事を皆さん、先に私が皆さんに今日は聞いてもらったわけですよね。信心とはこれが本当だと自分に思うたね。信心とはこれだと思うた。ですからこれは初心の人でもね、また信心巧者の人でもね。
 結局思うたことは内容は違っても、思うたことは高度なことであったり低いことであってもですね、それが本当なことであればですね、おかげになる。けれどもそのことに徹し、そのことを頂きぬかなければいけん。本当なことがどんなに高度なことの本当なことが分かってもね、これに徹してなかったら喜びも生まれない、信心体験も勿論生まれてこないです、これではね。ですから皆さん、そこんところまではひとつ皆さんが頂いとかなければ今日の御理解が分からん。
 只信心辛抱というのを頂いてきたけれども、今日は信心と辛抱と信心と言う所をここまでは分かっとかにゃね。これはそれぞれの信心、いわゆる私なりにです、これが本当ということを行じさして頂いておればですね、そこから信心の有り難さも分かってくるし、喜びも和らぎの心も、または安らぎの心も自分の心に何とはなしに頂けてくるようになり、信心とは有り難いものだと言う事になりね、但しそれが3年経っても5年経っても同じであるというと、これはちょっとおかしい。
 何故かと言うと育ってないからね。それはもういつも絶えず動いておるもの。信心は生き物なんですからね。いわゆる例えばそれは答えが出てきますからね、この頃喜びが頂けんようになった。心に安らぎの心がない、イライラするね。不安である焦燥であるとね。そんならもう今までの信心からもう一歩、本当の信心へ目指すところの信心、精進がなされなければいけん。そういう修行がなされなければならんね。
 そういう信心をです、銘々が頂いておるとして、それからの辛抱のことを今日は聞いてもらいたいね。そこを皆さん分かってですね。昨日一昨日、あのように盛大な夏期の夏のご大祭が奉仕されました。皆さんの真心いっぱいの、いわゆるご祭典があの暑い中にお互いが熱闘を捧げさしてもろうて、夏の大祭がいわゆる繰り広げられたね。ある先生が私に大坪先生、あれだけのことをなさるために随分、頭をお使いになることでしょうとこう言われた。それが先生私は頭を全然使わんとですよって。
 私があれをねあれだけのならお祭りをああせんならん、こうせんならんと指図したり、見て回ったりしておっては、私はもうどうかなってしまうだろうと私は思う。けれども私はもうほけのごとしておるとに本当にああして皆さんが、まあ私は何も出来ませんからご信者さん方がもうとにかく私の手になり足になってなさらなければ、もう余儀なくさせられると。それでまぁああいうお祭りが出来るとですよと言うて、お話したんですけれどもそういう説明が、皆さんがピンとこられないようですね私の説明が。
 はあもうあれだけのことするためには大坪さんがそんな、いや昔私はこれでも大体気のきいとったで通っとったんです。三井教会の大坪と言えば、本当にもうそれが信心もできるが、言わば商売人ですからね、本当に利口で気が利いておるとでほんと通っとったんです。まあこれは自他共に許しとった。人んぼやっとしとるとがもう(笑)馬鹿んごとやっぱ見えとった時代があるんですね。ですがその時分の私を知っておいでられるから尚更のことであろうとこう思うんですね。けれどもそうではない。
 私の心の中にはですね、ああしてもらわんなん、こうせんならんと言う事もないね。それであのご大祭を仕えられた。ですからもうあのご大祭がすんだら、もうご大祭の事を忘れた様にしておるね。そしてもう次のさらな信心、もう次の、例えば4時の御祈念にはもうちゃんといつもと同じ思いで4時の御祈念を奉仕する事が出来ておる。もう大祭というのは、この何時間前に奉仕された、その大祭がまあばたばた皆さんが、後片付けなさったりしておられるから。
 何とうなしに雰囲気こそまだ残っておるけれども、もう私の心にはもう大祭の雰囲気もないね。只あるものはあの大祭の感激というものが私の内容にあるだけ。もうもうすでに私の血に肉になっておる。それでいてまた神様へ向かう心はさらであるね。そこんところがね私は有り難いね。そして昨日であり今日であり、そしてまた今日はこの様におかげを頂いて。先生方が後でご直会を頂かれる時に総代さん方が、皆お相伴に出た。堤さんと高芝さん、永瀬さんが出ておられた。
 先生方がそのまあ移り変わり尋ねられるんですね、ここのお供えは月次祭の時か何か(笑)、ずっとやっぱり溜めとんなさるとでしょうか。それけんやっぱお供えがあげんやっぱきちっとそろうとでしょう。いいえそげなことはありませんよちゅって。私は申しました。私の方ではもう月次祭たびにあげんですよって言えんのって思うたわけで(笑)。いんやそれにはあんまり銘柄が揃い過ぎとる。そりけど酒屋さんばしござる、お得意さんにござるですか。
 そんなことはありません、皆の思いがああして結集されて、あのお祭りですよと、まあ言うたらそれもやっぱり半信半疑。本当と思われないというご様子であったと言う事です。と言うほどにおかげを頂いておる。そして今日の月次祭でもまた拝ませたらもういよいよ、この前の大祭のとをみんな持って来たじゃろ(笑)。と言う様な事に成るかも知れませんが、ほどにおかげを受けておるね。そういうおかげがどこから生まれておるか。私は私の信心辛抱から生まれておると思うのですね。
 私の信心のこれが本当だというのは絶えず動いておる。それは皆さんが毎朝の御理解を頂かれる度に感じられることだと思うのです。いわゆる三代金光様が仰った、信心は日に日にさらでございますね。そこの信心が日に日にさらでございますというご内容がです、どのように深いものか分からんけれども、少し分かってきた気がする。ですからそこにはまたさらなこととして、このような月次祭が次の、言わばもう次の瞬間には展開しておる。そしてここお広前での行事も。
 昨日から今日にかけて一夜信心実習会が北九州ですか、それから筑水連合会の青年会の方達が沢山、甘木の教会に集まって信心実習会が行われておる。もうそれに例えばはぁ大祭に疲れたなどというものではなくてです、もうさらなこととしてからおかげを頂いておるね。講師が鹿児島の行徳先生のお子息であります、行徳照磨先生であった。予定通りに進んで参りますうちに、ある教会のちゃんと、体験発表をするのが決まっとったわけ。ところがその一人の3人か発表するのに1人の人が出ていない。
 その時にちょうど60名くらい集まった、昨日のこと。その中から合楽から10名あまり、10名でしたか、9名ですかがおかげ頂いております。もう北九州これだけ沢山、何百の教会の中から60名そん時集まっておっておる6分の1が合楽が集まっておったんですね。ですからそのやっぱり多いもんですから、まあ目をつけられたんでしょうが、ここで1人欠員になっておるから合楽から1人発表して頂きたいというのである。それを先ほど、前講の時に末永さんがここでお話をしておりましたですね。
 もう合楽から付いて行っておる者も、ほとほと感心しておる。目ん玉に指つっこむごと言われても、あれだけの内容とあれだけの話が出来た。後の座談の時にです、もう結局合楽の信心が取り上げられて、検討されるけれども、それが分からなかったと皆に。ただ合楽から行っておる者だけが、まあ言うならば分かったと、こういうわけなんです。というほどにまあ合楽の信心は、高度なものだなあと言う事を、まあ身をもって感じてきたというのである。
 そしてまあ言うならば甘木の信心が、もう迎えちゃない軽くそれはね、あれだけの教会ですから何かがある。だからお互いがね、やはり何かを甘木の教会のたたずまいの中からですね、受けてきたことであろう、また受けてこなかったとするならばそれは慢心である。どこ行っても誰の話を頂いても、先日大祭の時に親先生のお説教をここで聞いて、マイクが入らなかったから非常に眠った人が沢山、後ろに聞こえなかったらしい。それで前で一生懸命に、あの紋付袴に正座してから頂いておりました先生達がです。
 みんなおかげを受けておる、親先生のお話の中からね。言わば私の話では頂けないところを久富先生なんかは頂いて、おかげ受けたと言うておられますね。ですから親先生のお話の中から有難いものが頂けれる。うちの先生の中からは有り難いものを頂けるけれども、他所の先生の話の中からは頂けないというのではこれは慢心。いわゆる今日私が言う、さらなものがない証拠だと私は思うね。嘉朗さんがどういう内容のことを話したかは知りませんけれども、お話ができたと言う事ね。
 信心の内容というものがです、やはりある意味合いにおいて、さらな信心がなされておる。日々の朝のお参りね。そしてあの大祭で打ち込んだ御用。そう言う様なものがよんどころなし自分の信心の内容というものを洗い清めてさらなものがここへ出てきておる。そこへさらなものとしてのお話ができたと私は思うね。まあ面目をほどこして言わば帰って来たわけでございます。と言う様にです例えば昨日。
 一昨日そのような大祭が行われてもうあくる日には、そうした教会的行事が次々とあっておるんですけれども、それが大祭の疲れもないと言う所にです、私は合楽の信心の素晴らしさがあると思うんですよね。何とはなしにお互いが、さらな信心の中に洗練されておる。洗練されておると言う事は、そういう中にですお互いがいよいよ、本気で魂を洗おう清めようとする思いがあると言う事だと思うて有り難いと思いますね。
 そして今晩の月次祭はまた、このようにして、なら昨日一昨日のご大祭がほんに昨日一昨日は大祭じゃったたいと言うくらいな感じですね。全然さらなものとしての、何かこう、昨日一昨日、先生お疲れでしたろうというのが実感としてピンと来ない。けども挨拶で言いよるけれども、本当はそうやってひとつも疲れておるという感じがないのであるねえ中村先生、それは皆さんがそれとはなしに、さらな信心の中に信心の稽古をなさっておられるからだと私は思うのですよね。
 今日も御結界奉仕させて頂いておる時に、何時頃だったでしょうか。9時から10時くらいの間だったでしょうか。もうとにかく眠たい。もう本当に眠り倒れるごと眠たいね。そこが大事そこを辛抱する。そこから今日のね信心と辛抱が別々にお話しなければならないものが生まれてきたね。これが本当だという私なりの信心がなされていっておってもです、やはりそこが生身ですからね、やはり何時間もここに正座さして頂いておると、疲れがきたり眠気がきたりする。
 そこん所をじっと辛抱する。私は信心辛抱とはそう言う事だと思うね。本当なものをこう頂いておる。頂いておってももう我慢ができない。もう我慢ができないそれはねいつもかつもそうであれというのでないけれども、ここはと言う所例えて言うならば、私のこの御結界奉仕中はという時。あれほど眠かって下がっておったら私眠ったでしょう。けれどもここはと言う所では、御結界の机に落ち着いて眠るわけにはいかんね。
 それこそ膝に針を立ててでも、四神様などは自分の頭の毛を一本一本むしっておられたと言う事ですね。でもやはりおかげを頂かなければならん。どうでも辛抱できんほど眠たいね。そしてあそこに新聞が置いてあるのに気がついた。私はこの8月号の新聞ができておることを知らなかった。ぽっと見たら神愛欄に久保山稔が書いておる、いわゆる投稿してある欄をちょっと見せて頂いたね。そしてそのいわゆる開口一番というかね、いわゆる書き出しに親先生有り難うございますって書いてある。
 一遍に目が覚めた。不思議ですね、本当にその人の実感がね、こちらへ伝わってくるんです。今ここで実感をもって親先生有り難うございます。言うておるとと同じ響きをもって私の眠うて眠うてたまらん心の中に響いてくる。読ませて頂いておったら、一番最後にまた親先生有り難うございますで終わっておる。たった年に一回しか帰って来ないあの人がどうしてこのような信心を身に付けていっておるじゃろうか。
 今度ある問題があって、この事をどうでも親先生にもう一遍、お伺いした上でご無礼だけれどももう一遍とこう思うておったけれどもね。一家をあげて朝参りさして頂いた時に、その日はとにかく親先生のお出ましを頂こうというので、朝の3時過ぎから出てきたね。3時半には親先生が外の神苑に出てから、天地を拝される拍手の爽やかなのにもう心が躍った。4時になると内殿に進まれる先生の姿を見てから、もう何もいらんと思うた。私が今お伺いをしようと思う蛸とは我情であった我欲であったと気がついた。
 親先生すみません、親先生が仰った通りにそのことで腹が決まりましたという答えが出てきた。有り難いです信心とはね。言うて聞かせられて、怒るように言われてわかったというのでなくてです、どうしてね、その朝のひと時というかね、朝の言わばあの闇をついての朝の御祈念。ここは真っ暗にしてあるね。それに3時半にあそこで言わば拍手が天地を拝する。それを聞いたとここで。途端に稔さんの心の中に躍動するもの。それは新しい血がこれに逆流してくるように有り難いものを感じたね。
 何がそう言う様なものを与えるのだろうか。只その雰囲気だけであろうか。勿論その雰囲気がどこから醸されたのであろうか。その雰囲気はどこから生まれてきたのであろうか。私は思う、矢張り私が日に日にさらな信心を求めていっておるそのさらに求められたところから生まれてくる雰囲気がそう言う事になってくるのじゃなかろうかというふうに思うのです。私は今日その眠たい時にそこんところを頂かせてもろうてね。
 それこそ一気にあの新聞を裏表読ませて頂いてから、もう眠気のけの字もないようなおかげをまた、12時まで頂かせてもろうて、下がらせて頂いた。皆さんどうですか、暑いから眠たい人もあるでしょうね。それはやっぱですね、信心を頂いておられてもですね、本当なものをここに頂いておられてもやはり眠い時には眠いね。だからそこんところを辛抱する。それこそ膝をつねって辛抱なさいね。それこそ髪の毛でも一本一本抜いてからでもひとつ辛抱なさい。今ここで眠っちゃいけんのです。
 今は眠っちゃでけんと、ここでは。今有り難い御教えを頂いておる時なのだから。今は眠っちゃいけん時なんだ。それを私は御結界で眠っちゃならないことを感ずるように、今は眠ってはならない時なんだね。それが辛抱なんだね。その辛抱それがいわゆる皆さんの頂いておられるその信心にその辛抱が伴うて、そういう信心がですね、繰り返されていく辛抱がさして頂けて初めて、物事整わないことないというおかげになってくるのですね。信心というのはこれが本当だと。
 それはその人なりのものでいいのだ。そしてそのことに徹底する、そのことに徹する。それが幼稚であってもいいね。徹しておるそこから生まれてくるところの有り難いもの、和らいだものね不安のない焦燥のないね、いわゆるおかげがそこに伴うてくる。それならそれでいいとね。けれどもそのおかげが伴わなくなってきたりね、心に喜びも安らぎも頂けんようになった時にはもう今、あなたが頂いておる本当なものは本当でないのだから、次の本当を目指さなきゃならないというのである。
 けどもそういう本当の信心をさして頂いておってもです、言わば生身をもっておりゃ眠たい御理解頂きながらでも眠り倒れるごともある時もあるけれどもさあここは一番辛抱しなければならない時だというのであるね。そこの辛抱をさして頂くところからですね、次に目が覚めるような新しい血が心の中にいっぱいなって来る様なおかげが頂かれるのですね。そういう信心が繰り返されるね。昨日は総代さん方一同、一緒に親教会にお礼参拝をさして頂いた。
 ちょうどお月次祭が終わった後からあちらの総代会が、親戚、総代、それから出社の先生方が集まって会議があるから明日は出て来るようにと言う事であったから、私昨日そのつもりで出ていった、総代さん方はもう皆帰られた。私は残って。それでまあ1時頃からお話が始まった。今度はあちらの初代のこの11月が35年の式年祭であります。御霊様の式年祭がございます。それについてどう言う様な心構えで式年祭を迎えるか、それには荒巻家の親戚の方達も集まってもらわなければならん。
 同時に総代、それに出社の先生方も集まってもらわねばならん。まあ出社というても、ここと星野と北野でございます。北野だけが見えてなかった。何遍も電話しておられたけれどもみえません。いろいろ話が進んで参りまして、その委員会ができた。そこでその委員長の選定と言う事になりましたら、親戚から委員長になるわけにもいくまい。出社からといやあ、やはり星野が先輩であるから星野であるけれども、あちらは婦人の先生、教会長婦人の先生であるし。
 こらどうでもひとつ合楽が今度の委員長を承ってもらいたいと言う事になった。もう岸先生あちらの総代さん方が、もうこら今度は絶対もう合楽の先生、もうあなたでなからにゃいけんとこういうわけ。親先生も言われる。もう親奥様の本当あなたが御用頂かなできんと言うてもう極力に、もうそれこそ満場一致で私をどうでもその委員長にと言う事になった。ところが私ごたるとが委員長したところでどう言う事になりますか。委員長といやあ、言うなら采配をふらなければならん。
 それにはあなたここのご親戚の先生方だけでもきら星のようなえらい先生方ばっかりござるとに、私が委員長になってから、私が采配されるはずがないね。それでもあなた、あげな大祭でも何でもできるくらいでした、さあそれは私が馬鹿になっておれれるからでけた。私が頭使うて出したんじゃないから。それでもともうとにかく、まあ押さえつけられるようにしてまあ結局、私が委員長と言う事になった。さあそれから私の心の中にです。その時にちょうどこうお食事を、お神酒が一杯出ました。
 その時におぼんがこう出てきた。それにね実篤さんのかぼちゃの絵がね、大きなかぼちゃの絵が描いてある。その横にね赤いもう熟れたあれはピーマンですね。ピーマンの熟れた胡椒がこう描いてある。そして横に「仲良くすることは美しい」と書いてあった。ははぁこれは一番私がまあここにおられた方達が赤いピーマンであるなら、私がいよいよ大きなかぼちゃにならないといけないなとこう思うた。
 それでまあはっきり返事をしないけれども心の中では、いよいよこれは時にはやはり自分が承らなければならんだろう、ためにはもうどういう霊祭を奉仕さして頂こうかと。私の心の中はもうその35年の式年祭、11月の30日のお祭りのことが私の心の中に走馬灯のように次々とその構想が練られてね。もうそれはもう本当に自分ながらもびっくりするようなはあね、今度はどうでもひとつ、他所の先生方に頼まずに、うちの弟子うちの子供孫だけでひとつ奉仕してもらおう。
 これはもう委員長の権限であるね。お供えはこう記念事業はこうだ、というふうに私の心の中はもう次々とそうした35年の式年祭のことが展開されて、いわゆる構想がもう練られてきた。ですからそこにだから結局お話がですね、お話は私に持って来られた。どういうふうにね。鹿児島からもみえておられます。それでそこから私の話を聞いてもらわなければならんことになった。それで私はお話をしたね。私の信心というのは、何というてもやはり、善導寺あっての私なのです。
 かと言うてですね正直言うて、んなら20年前にです、いわゆる20年というよりも昔の私にはです、初代の先代というものに対する現在のような童念心はなかったね。けれどもね、だんだん、少しずつでも信心が分かってくるに従って、初代に対するところの童念心というものは、もういやがうえにも高められてきた。私がこちらの教会におかげを頂いてから神様へお礼をしてから霊神様の前に出ると、私はここのところで御祈念をする。下に座っとっるけれども身体はこちらにある。
 もう霊神様のそこのお写真を目の前に見てから私は必ずね。だから私はもうそうしなければおられんのだ。あれは私の童念心の現れなんだ。親先生に対するところの童念心が私をああさせるのだ。どうしてあんたが霊神様をあげなふうにして拝むじゃろうかって思いよったって親先生が仰るようにですね。私はそこからお話を始めたね。親先生に対する例えばなら親先生が「こりを積ますなこりを積むな身を慎め」と仰る、これはもう一番、最高に難しい御教えである。
 けれどもその信心の一部だけでも頂きたいというので、私はこりを積ませんと言う事はできないから、何しろ積ませんと思いよったっちゃ、相手が積むなら仕様がないね。例えばあの大祭を拝んどってから腹かいとる先生がおられた。だから仕様がないのです。相手にこりを積ませんと言う事は仕様がないね。ほいで待って下さいと言うたけどもこうこうやって帰る。ほんなもうちょいとお祭りの様子を見らしゃってからもうついっと帰んなさった。と言う様にですね。
 まあやはりこりを積んで帰られたのじゃろうけれども、こちらは積ませんと言う事は中々難しか。けれどもどんなことがあっても自分はこりを積むまいと私は思うた。これだけは親先生の信心を頂きたい。それもです様々な難儀、かん難修行さして頂きよるうちに、それがだんだん自分のものになってきて、これが初代の信心の一部であると気付かせて頂いた。どの様な事があってもそれを受ける、どの様な事があってもそれで自分がこりを積むようなことはせん。
 どんなにね、恥ずかしい目を受けても、どんなに腹の立つようなことを言うても、それによって自分がこりを積むようなことがあってはならないと言う事に焦点を置いて、おかげをこうむって参りまして、現在の合楽だとね。そこから驚くべきことはですね、久留米の信心辛抱もその内容に入っておるしね、または福岡の馬鹿と阿呆で道を開けというその御教えもその中に入ってくるしね、桂先生のいわゆる不退転の御信心というものもです、その中に入ってくる。
 こりを積ますなという、その一つの御教えの中にみんな入ってくる。それが私を今日にさして頂いておるのだ。それはもう皆そのことについては大変、共鳴を共感をまあ得たようでしたね。そして私は思うた信心というのは必ず血じゃない。血族じゃない血の繋がりじゃない、もう血よりも濃いのは信心だね。言うならばご親戚の方よりもです、息子さんよりも孫さんよりもですね、私は私自身の方が親先生との繋がりは頂いておるかもしれんと私は言うた。はあちっと言い過ぎじゃなかろうかと思うた。
 したら鹿児島の先生が、そうです私共がやっぱ、爺の信心と言うものをですよ、本当に一遍他人になって、新たに信心で頂かなければならんと思うて、言うて下さったから皆もですね、本当にそれどころじゃなか、もう私が改まらにゃでけんと親先生もその時仰った。信心の繋がりというものはもう血じゃないのだ。信心の縁というものの方が濃いのだ。そして、私は岸先生にその始まる前に話しておったことをまた話した。
 もう本当に昔の初代の時分の信心が誰もおらんけんでちゅってからある意味で嘆かれますから、岸先生、それでもね、私とあなたが残っておるじゃないですかってね。親先生の生き生きした信心がです、信者のうえに私とあなたが残っておる。これが生きた種であるならばこれが岸先生、一粒万倍にならないはずはない私はそう思う。だから1人でもいい。二人でもいい初代の信心を受けておるという者が、三井教会にあればです、それからおかげが受けられる。
 と言う様なまあ結局、委員長としてのお話がね、で皆さんもはあもうこの調子ならばこりゃもう、合楽でと言う事を皆さんがまあ、安心して頂いて下さったようである。それから3時間続いたお話が夜まで。それは私の話が続いたわけじゃない。その会議が続いたんですね。ところがもう帰ろうかと言う頃に、北野の先生がみえられた。北野の先生に一応今日のその3時間の間に取り決められたことやらを岸先生が説明をされたね。ひとつひとつそうやって合点して、聞いておられた。
 したら急に小用をもよおしましたから便所にたたしてもらった。便所へ行ってから帰ってきたら、一生懸命に親先生と岸先生が私が委員長になったという弁明をしておられる。まあ恐らくは察するなら、そら合楽じゃでけんとまあ北野が仰ったらしいのです。ですからそれでも考えてみるとする者がおらんじゃないのと言う事になった。したらこらもう合楽より他にないと言うて満場一致で決まったっじゃからと言いよんなさるところへ私が便所から帰って来た。
 それで座りながら言うた、いいえこのね、今度の委員長の問題はね、私がはっきりお受けしたとじゃないとですよ。だからより適当な人があるなら、もう私はいつでもひかして頂く。もう御用だけはさしてもらいます。もう実際私としてはですよね、きら星のようにとえらい先生方がおられる三井教会でです、私が委員長なんていうことはおこがましい、本当言うたらね。できるはずもない。だからそう思うておったんですから北野の先生、これはあなたがなさってもいいとですよ。
 本当今話聞きゃああた、親戚ができんちゅうことはない。まあ親戚はできんかもしれんけれども、北野はれっきとしたここの出社じゃないですかね、だから親戚ではなくて、出社の先生として、しかもこの先輩先生として、あなたがなさったらどうですかと。私が申しましたら、そげなふうな思い方するなら、北野でんよかというふうに、言わんならんようになった。
 親先生もだから、総代さん方もいんや北野じゃいかんとは私がそう言うたもんですからね、いわゆる親戚と言う事じゃなくて、出社として北野の先生、あなたが頂きなさったらどうですかというふうに申しましたら、結局北野の先生がお受けになることになって、私はなら副という立場になった。もうそういう時にですね、もう大きなかぼちゃになっておりゃあ、こんなに楽なことはないです。
 何もない。只私の話をね、聞いてもらうために私だけちょっと2、3時間委員長になって(笑)、三日天下っちゅうが、私は三時間天下(笑)うん。けれどもね、その時の私の心の中にほんなこう、流れたですね。もう構想というのはもう素晴らしかったんです。けど本当にもうおかげを受けきらん者は、しようないなとその時思いましたですね、実際ね。恐らく私はその構想をですね、北野の先生に言うても恐らく取り上げられないですよ。あまりにも規模が大きいからね。
 そのようなわけでございましたけれどもね、と言う様な事においてもです、私の心の中に、例えば昨日の大祭の疲れが合った様な事では、そう言う様なおかげになってはこないのですよね。信心辛抱と、と言う事の中にはですね、例えばいわゆる初代のこりを積ますな積むなという中に私はその中のこりを積ませんじゃなくてこりを自分が積まんと言う事に焦点を置いて、一生懸命精進さして頂いた時代があった。
 それからなら現在のね、合楽で様々に申されております信心がそこを起点として、信心がこう、それがひとつの信心の母体であるね。それからもっと本当なこともっと本当なことが最近ではもう教団的なものに合楽が段々こう移っていっておる。もう三井教会ではない小倉じゃないね。もう私の信心はいわゆる金光教という信心のそこへ飛躍していっておるでしょうがね。
 それでいつも私の心の中に絶えず、さらな喜びね。生き生きとしたものね。そういう間違いのない、そしてそこに体験と言うものをいつも答えに出しながらです、そして、おるけれどもやはり御結界に座っておって今日のように眠り倒れるごとある時もあるけれどもそこをやはり、辛抱しぬかして頂くというところにですね、信心辛抱とはそこにあるのです。辛抱とはそれなんだね。
 辛抱とはそれなんだ。お話を頂いておる時、眠気がきて眠気がきて仕様がない。けれどもここは一番眠っちゃならんという辛抱なんだね。なら普通でも眠っちゃならんと言う事はない。けれどもそげな人に限って御理解がすむとぴしゃっと目が覚める。これはおかしい。もう眠ってよか時には眠らんね。そして眠っちゃならん時にはもうこうやって眠る、こうこうやって。そして自分はいっちょん眠っとらんじゃったごたる顔をする(笑)分かる。こっから見よったらちゃんとね。
 だからそこんところを私は信心、だから今日の信心辛抱は今までとは違った信心辛抱ですからね。まず信心というものを、間違いのないものを、ここまではというものを頂いて、そしてそれでも尚且つ、もう辛抱がしきれない時もあるけれどもそこを辛抱するのが信心辛抱なんだとね。その信心辛抱の中にはね、初代の信心があり、久留米の信心があり、言わば手続きの先生方が命として守られたその信心がその内容にできてくる。そこから日に日にさらなもの、新たなものが生まれてくる。
 そこから家庭の中に、雰囲気がそういうさらな雰囲気が日々風の中に生まれてくる。稔さんがここで、朝の御祈念に始めてお参りさして頂いてね、言わば3時何分についてから、いわゆる3時半の私のここのお広前に出て来る、そこんところから拝ませて頂いて、もう途端に自分の心の中にさらなものを頂いておるようにね、もう一遍お伺いしたことをもう一遍お伺いしようと、とこれにもたついておったものがその一瞬にです、これはもうこのまま頂いていくんだという腹が決まった。
 そのことが親先生有り難うございますに始まり、そして最後にまた親先生有り難うございますになっておるわけなんですね。そういう信心ね。そういう信心を頂いて、そしてこれからね、例えばなら苦しいこともありゃ、つらいこともあるけれどもここは苦しんどっただけじゃでけん、悲しんどっただけじゃでけん。ここで眠っとったらでけんと言う所だけをです、辛抱しぬかして頂くと言う様な信心をもって、信心辛抱だと言う事を、今日は聞いて頂いたですね。
   どうぞ。